2011年3月11日に発災した東日本大震災
発災直後
地震による建物の被害が見えない中で日常は続いていて
そこに津波が襲って行った
速報で流れるテレビ映像を観て
海岸線を走る車に
「逃げろ!」
なんて言葉を投げかけながら
車や街が飲み込まれてく映像をリアルタイムで観て胸が傷んだ、、、
2週間もしない内に被災地支援へ向かう
非日常の中で仕事して来た僕でさえ言葉を失くしたのを覚えてる。
瓦礫が溜まった場所
沼地にしか見ない場所に確かに残る家の基礎
電柱は規則正しく海へ向かって倒れてる
赤ちゃんをおぶったママさんが、小さなお子さんと一緒に瓦礫の中から探し物をしてた。
あり得ない景色の中で
母子が時折笑い声を上げながら楽しそうに探し物をしてて気がついた。
ここは瓦礫の山じゃ無くて
大切なものが眠ってる宝物の山なんだってこと。
一方で
被災地支援に来た僕らはというと
集中力なんてものはなく
笑えない冗談を言って互いにヘラヘラ笑ってたり
「あ〜もう疲れた!」って嘆いて座り込んでサボっていたり
黙ってりゃ良いものを不平不満を時間の限り吐き出して
挙句は喧嘩し始める輩もいて、、、
何の役にも立ってやしないのに
被災者の方々からは貴重な水を分けていただいたり
深々と頭を下げながらお礼を言われたり
どっちが支援に行ってるやら
僕は悔しくて仕方がなかった。
価値観も感性も人それぞれに異なる
自分の価値観や感性を軸に人を観てはいけないし決めつけてはならない。
それでもやったった感で帰ってく人たちの姿を観て
若かった僕は怒りを抑えるのでいっぱいいっぱいだった。
愛知へ帰り何も無かったかのように日常生活に戻る
「お前が休むと仕事が回らなくなるだろ!」
と当時の上司に叱責され休暇申請さえ認められずで
プライベートでさえ被災地へ向かうことさえ許されない職場に怒りは増す一方だった。
そんな中で見つけたのが献血
中でも成分献血なら2週間で一回やれる
恥ずかしながら僕が献血を始めたのは東日本大震災からなんですよね、、、
直接的な支援は寄付金を贈ること
間接的な支援は献血をすること
献血も今日で100回目になりました。
途中、針刺し事故が遭って神経に触れて右手が痺れてしまい
穿刺されることが怖くなって一年半ほど献血から逃げちゃったこともあるけど
少しはお役に立てて来ただろうか。
今日は今日とて寒風に負けてショートラン
寒さにも負けない強い男にならなきゃな!
奥さんが作ってくれたチョコチップバナナマフィン!
めっちゃ美味しいんです!
献血100回目記念で作ってくれたと言い張る僕!
なので11個ぜーんぶ僕のやーつ笑
奥さんのおかげで今日も良い一日になりました
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