能登半島地震 全ての消防士よ被災地へボランティアに向かおう

火消し24時

今日は緊急消防援助隊援助隊のことを綴ります。

 

2011年3月11日発災の東日本大震災

当時20代後半だった僕も

緊急消防援助隊の派遣隊員の一人として

宮城県の亘理町へ行きました。

 

当時の僕の任務は「後方支援活動

被災地で活動する隊員の「支援」にあたる任務です。

具体的には

活動する隊員の寝床の確保や食事の提供、その他必要とするあらゆる支援を行います。

 

支援とは言っても

被災者」さんへの支援ではなく

活動隊員」への支援になります。

 

また緊急消防援助隊は都道府県単位で構成されます。

愛知県隊であれば

名古屋市以下の市町村消防が集まり県隊を組み

県隊単位で指定された被災地域へ向かい活動に当たります。

 

ですので

後方支援活動はこの県隊で活動する隊員全ての支援に当たることになります。

 

当時20代後半

階級は消防副士長だった僕。

亘理町の宿営地へ到着し

前任(前次隊)の後方支援の担当者から引き継ぎを受けました。

その際に注意されたのが

”絶対に喧嘩が起こるから気をつけろよ。特に寝床の件は喧嘩になる。”

この注意事項はすぐに現実となりました。

 

当時僕たちの県隊は大きなお寿司屋さんの建物をお借りしていました。

寝床は各隊員シュラフ1枚分のスペースで割り当てるのですが

大所帯のため

お寿司屋さんの建物の中に全員が寝ることはできませんでした。

そこで

くじ引きを行い

お寿司屋さんの建物の中で眠れる隊員と

屋外で消防車両やテントの中で眠る隊員とに分けることになりました。

 

各消防機関でくじを引いてもらい

順に割り当てられたスペースに荷物を搬入してもらっていると

大広間の一角で怒鳴り声が聞こえてきました。

 

すぐに人が駆け寄ってきて

「後方支援の方すみません!あそこで揉めてるので対応願います!」

 

怒鳴り声のする方へ向かうと

俺は司令長だぞ!こんなところへ連れてきてこんな場所に寝かせるのか!」と。

どこかの消防本部の消防司令長が激しく怒っている。

 

僕が話を聞くと

また同じように怒鳴りつけて来ました。

ひと通り主張を聴いた上でお伝えする。

ぽたパパ
ぽたパパ

司令長をこんな所へ呼んでしまってすみませんでした。

ここは被災者さんを救いたい人が集まる場所なので

申し訳ないですが

前次隊が帰るバスに乗ってお帰りください。

 

周りの人たちが凍りつくような雰囲気になったのを覚えています。

 

余計に声を荒げてくる消防司令長。

でもそれ以上に

真っ青な怒りの炎を燃やして冷たく冷静に対応する僕。

 

そんな冷たい空気感の中に割って入って来てくれたのが

豊田市消防本部の救助小隊長さんでした。

「後方支援さんすみません。

寝床が無いって聞いたので

僕たち豊田はトイレをお借りしても良いですか?」

 

はて・・・?

 

ぽたパパ
ぽたパパ

トイレですか?

良いですけど、、。

 

「ありがとうございます!

じゃあ僕らはトイレをお借りします!

良いよな?みんな?」

と救助小隊長さんが隊員さんへ声かけすると

『はい!!!』

と元気よく返答し

すぐにトイレに行きシュラフを敷き始める救助隊の人たち。

正直、めちゃくちゃ粋でカッコ良かったです。

 

消防司令長は

「なら良いわ!ここで寝りゃ良いんだろ!」

最後の最後までカッコ悪かったのを覚えています。

 

そんなどうでも良い経験から13年の年月が経ち

僕は緊急消防援助隊の消火隊長として輪島へ派遣されました。

13年前の後方支援隊とは違い

今回は実動部隊である消火隊の小隊長として。

 

派遣に当たって

僕はこの話を後方支援隊の隊員へ話しておきました。

・消防士といえどピンキリであること。
・腐った者も多いけれど素晴らしい消防士も中にはいること。

 

輪島入りしたその夜に

支援隊員から報告を受けました。

「事前に話を聞いていて良かったです。

今現時点でもう既に本当にクズみたいな人がたくさんいました。」

 

 

今回の派遣では僕個人としても本当に多くの憤りを感じています

13年前の派遣と同じくらい

青く冷たい怒りの炎が燃えました。

 

13年経ったとて

時間ばかりが経過しただけで

消防緊急援助隊の中身は変わらない

結局は寄せ集めの大きな隊なだけなのだから。

 

僕たち消防士は火災・救急・救助といった災害のプロである。

しかしながら

自然災害では全くの素人である。

なぜならば

被災地での活動経験がないのだから。

そして

職歴に箔が付く緊急消防援助隊としての派遣には喜んで行くが

ボランティアとして被災地へ足を運ぶ消防士はほとんど居ない。

被災地を知らない消防士が被災地へ入ったとて

僕たちに一体何ができるのでしょうか。

 

兵庫県の消防機関で働いていた僕の恩師はよく話してくれました。

阪神淡路大震災での活動はまさに地獄だった。

地震で崩れた建物の中から泣き叫ぶ声が聞こえる。

どこから手をつけたら良いかも分からないまま

がむしゃらに救出活動を行う。

全員を一度に救出できないことが

まるで人ひとりの命を選択しているようで胸が傷んだ。

燃え広がる炎を止めることができず

建物に取り残された要救助者を見放して退避したことずっと悔いている。

 

阪神淡路大震災での教訓を元に発足した緊急消防援助隊

そろそろ在り方を考える時が来たのでは無いでしょうか。

 

形骸化が進み本質が伴わない活動

人員や特殊車両、膨大な予算を使って僕たちは一体何を目的として活動しているのか。

 

組織を理由に悔しい思いだけを繰り返してて良いのでしょうか。

いや、良いはずがない。

 

僕たちの到着を待ち

僕たちの救出に望みを懸けて下さった全ての被災者さんのために

僕たちは動かなければならない。

 

 

そのためには被災地へ行くしかない。

全ての消防士は被災地でボランティアから始めると良い。

きっとそこから大きな動きが生まれるんだと僕は真剣に思っています。

スポンサーリンク
スポンサーリンク
火消し24時
シェアする
follow me

コメント

タイトルとURLをコピーしました