レーシック術後20年の経験者が語る 眼鏡卒業を決めた理由

パパの日記

春からの新生活を迎えてコンタクトレンズやメガネを卒業したいと考えている方も多いのではないでしょうか。

かく言う僕もその一人でした。

今日は20年前にレーシックを受けた僕の経験を綴りたいと思います。

今回は、レーシックを受けるに至った経緯をお話しします!

 

 

当時、僕の場合はコンタクトレンズとメガネの二刀流。

昼間はコンタクトレンズを付けて夜はメガネで生活する。

何せメガネが似合わない顔なので

意地でもコンタクトレンズの時間を多く取るようにしていました笑

 

特に大学時代はメガネへのコンプレックスがあったため、メガネは使わずにコンタクトレンズだけで生活していました。

 

使い捨てのコンタクトレンズが切れるたびに眼科へ行くのが面倒になり

2weekで捨てるのがなんとなぁ〜く勿体なく感じるようになり

行き着いた僕のライフスタイルは

2weekタイプの使い捨てコンタクトレンズを24時間外すことなく付け続けるという生活でした!

で、そのコンタクトレンズはいつ取り替えるかと言うと

視界が悪くなってきて瞬きすると違和感を感じたら交換するようにしていました。

つまり

コンタクトレンズに穴が空いたら交換していたのです!

今思えば完全に若気の至り

ほんと大バカやろうですよね、、、

 

なのでコンタクトレンズのストックが切れて眼科へ行くたびに

「眼球が酷く傷ついているけど何か心当たりありますか?」

と眼科医の先生に不審がられるのが常でした。

そして、それを言われるのが嫌で

より一層大切に一枚一枚のコンタクトレンズを長く着用し先生に診てもらう機会を減らそうとする、、、

まさに悪循環

 

そんな僕も大学を卒業し今の会社へ入ると

職場の先輩からサーフィンを勧められサーフィンにどっぷりハマるようになりました。

 

ここで大きな問題が

そうです。

目がめっちゃクチャ痛かったのです!!!!

 

そりゃそうですよね。

24時間コンタクトレンズを付けっぱなしの眼球は呼吸が出来ない上に

常に異物と接しているのですから傷ついて当たり前

そこに大自然の塩が入ってくるのですから

ドルフィンスルーどころかパドリング中の波飛沫でさえ悲鳴をあげていました笑

 

かといってメガネでサーフィンって、、、

どうやってやるのさ。

そんでもってただでさえイケメンじゃない僕がメガネなんぞかけていたら恥ずかしすぎるじゃないですか!

ザ・コンプレックス!笑

 

そんなとき目に止まったのがレーシックでした!

当時はまだ日本での症例も少なくて

レーシックって何?

ってくらいの認知度でした。

加えて新しいものに畏怖を覚える国民性から懐疑的、否定的な言葉しか聞こえてきませんでした、、、

 

そんな中僕がレーシックに踏み切った理由は

友人の経験談でした!

ゴリ
ゴリ

俺、ブラジルでレーシック3万でやってもろたで。

2年経つけど、調子ええで。

歳は二つ上になる彼がまさかブラジルで生活していたとは

そしてブラジルで3万円で手術してくるとは、あっぱれじゃ!

彼のおかげで一気にレーシックのハードルが下がったのを覚えています笑

 

名古屋市内でレーシックができるクリニックを探してすぐに受診。

そしてそこで医師に言われた言葉に驚愕!!!?

 

「眼球傷付き過ぎてて今すぐにはレーシックやれませんよ。」

 

なんとぉー!!!!

僕のいい加減な眼球ライフがここに来て足を引っ張るとは、、、

 

夏が来て、秋が過ぎ、冬を越えそして春が来た。

ほぼほぼ1年間を眼球ケアのために費やしました笑

使い捨てのコンタクトレンズはワンデイタイプに変更し毎日きちんと取り替える。

なぜワンデイにしたかって?

そりゃ、2weekだと洗ったりしなきゃならないけどワンデイならその日に捨てればいい笑

本当に嫌だったメガネも夜に限らず昼間も付けるようにして角膜の保護を最優先にしました。

 

そして迎えた心地よい春。

いよいよ手術かと思いきや。

花粉症の季節到来、、、

結局、僕がレーシックを行えたのは初夏でした笑

 

今日はここまで。

次回は、レーシック手術の経験をお話したいと思います。

コロナとロシアによるウクライナ侵攻の影響で、コンタクトレンズの欠品が続いているようですね、、、



家計を預かる主婦や主夫の皆さん

どうか無理を重ねずに乗り切っていきましょう!!

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