能登半島地震が発災してから
僕の心の中でずっと葛藤が起きてます。
それは
被災地支援活動(ボランティア)へ
消防士は行くべきか否かです。
発災直後に
緊急消防援助隊の消火小隊長として輪島市へ派遣された僕。
29歳の頃に派遣された
東日本大震災での活動を思い出しながら被災地へ向かいました。
けれど
13年が経とうとしていましたが
緊急消防援助隊の活動は酷いものでした。
東日本での教訓が生かされていることはなく
変わったとすれば
車両や装備が充実したことだけでしょう。
いくら装備が充実し高度になったとしても
それを扱う僕たち消防士が成長していなければ
全く意味がありません。
今回の派遣はそういった意味で
全く意味のない派遣だったように個人的には思っています。
およそ13年が経ち
全く役に立たなかった緊援隊での活動を終えて
僕は改めて
「消防士こそ被災地へボランティアに行くべきだ!」
と実感し
職場の上司や仲間たちへ伝える努力をしました。
向かわせる理由は
- 災害における知識や経験があること
- 被災者さんへ寄り添える接遇力があること
- この先起こりうる大規模災害時に生かす経験が得られること
しかしながら
反応は薄く、、、。
緊急消防援助隊としての派遣実績が付く訳でもなく
派遣の手当がいただけるでもないボランティアに
誰が好んでいくでしょうか
みんな消防吏員という職業として消防をやっているんだと
今更ながらに気付かされました。
その後
僕自身が珠洲市へボランティアとして戻ると
昨年5月の奥能登地震で
僕たち愛知人がベースとして使っていた建物が
全壊している光景を目の当たりにし
言葉が悪いですが、、、
共に活動する大切な仲間を
地震がまた起こるかも知れない危険な地域へ連れて行くことが
悪なのかも知れないと思うようになりました。
以降
職場の仲間たちを誘うことを控えるようになりました。
2月に入り
緊急消防援助隊の派遣が打ち切りとなりました。
そりゃそうですよね。
役に立つことがないのですから。
この緊援隊の打ち切りを機に
能登半島地震の話も
輪島市や石川県の被災状況を気にする声も職場から綺麗に消えました。
1月、2月、3月、4月と
珠洲市へ戻ってきた僕ですが
被災地の状況は一向に進展しません。
ですが
愛知人の活動には全国各地から
職人さんやデスクワークの方、主婦や学生
そして被災者さん自身が
ボランティアとして参加してくれています。
この光景を見るたびに
「なんでうちの消防士は被災地へ来てくれないんだ」
という僕のエゴが疼き始めました。
そんな中
水上安全のボランティアをしている職場の後輩と
「消防士はなぜボランティアをしないのか」
について話してみると
ボランティアという言葉が壁を作ってるかも知れませんね。
僕もこのボランティアを始める際、やる側に入る前まではそう感じていましたし(^-^;
実際にやる側になってみると何てことないんですけどね。
一度、ボランティアという言葉を使わずに
「一緒に石川へ行かないか?」
って誘ってみてはどうですか?
と教えてくれました。
良い教えを聴き
早速声がけを始めてみる。
所属は違えど
職務に熱い後輩に声をかけてみる。
一緒に石川県の珠洲市へ行ってみないかい?
まだまだ被災地は酷い状況で
僕ら消防士だからこそ救えるものがあるから。
力を貸してくれないかな。
すると後輩は
家族があるし、嫁が絶対許してくれないんですよぉ。
それよりも!
4か月も経つのにまだそんな酷い状況なんですか!?
国や県は一体何やってんだよ!
ほんと腐ってますねこの国は!
ほんっとに!
とんでもねーーーーーー!!!!!
緊急消防援助隊へ派遣されていて
役にも立たずに帰ってきて
高額なお手当いただいてて
その後は一切被災地に関心もなくて
被災地へ行くこともなくて
4か月経った状況を今知ったってのに
自分のことは完全に棚上げして
国や県のせいにだけして!!!
僕ら市職員も国や県と一緒の立場だってのに。
言い放ってすぐに
後輩は
「しまった!」
って顔して
しどろもどろに言い繕っていましたが
本音が聴けたので良しとしました。
動かずやらず
口ばっかりで
他人のせいばかりにするような奴は
被災地へは連れて行けん!
消防士こそ被災地へ向かうべきだ!
というのは
僕の理想であり
僕の完全なるエゴです!
僕は最低なエゴイストです!
でもいい!
こうなったら好き勝手に笑顔で
ボランティア仲間になってくれる
熱く厚い子を探し出してやる!!!
そして
そういった子たちが
この先すぐなのか
5年後なのか
10年後なのか
いずれ必ず襲ってくる大規模災害時に
救助を求めている方々の命や身体
たくさんの思いを救ってくれると信じてます!
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