限りある人生 残された時間 人生は選択の繰り返し

家族の時間

今日はちょっぴりセンチな日記になります。

読んでいただける方は

あらかじめご承知おきください。

 

僕の仕事では日常的に人の「死」と向き合います。

幼い子であったり

学生であったり

働き盛りの方であったり

主婦であったり

高齢者であったり

 

老若男女多くの方の様々な「死」と向き合います。

 

中でも向き合う機会が多いのが

高齢者の「死」

 

僕の父親は今年で76歳

僕の母親は今年で72歳

共に高齢者です。

 

そんな両親との縁を自分から絶ったのが今年4月の僕の誕生日前です。

誕生日プレゼントには酷過ぎる僕自身が選んだ道でした。

 

両親との絶交を選んだ理由は

以前の日記「悲劇のヒロインを演じるには。」を読んでいただければと思います。

 

理由はどうであれ

自分自身が選んだ道。

 

でもね。

最近胸が痛むんです。

心が苦しいんです。

 

現場で亡くなられている高齢の方のご遺体に手を合わせているとき

今にも命が落ちてしまいそうな高齢の方への救命活動をしているとき

旦那さんに対して必死で呼びかける奥さんの姿を見たとき

奥さんの既往も知らず、保険証がどこにあるかも分からず、慌てふためく旦那さんを見たとき

 

 

自分の両親の姿が被って見えて胸が痛くなるんです。

 

僕の親は元気なのかと。

 

両親の人生は後どのくらい残されているのだろう。

喧嘩の多い二人だけど夫婦仲良くやってるのかな。

暑い季節が来たけれど熱中症に気をつけて生活してるかな。

元気な顔が見たい

声が聴きたい

僕も家族もみんな、元気でやっていると安心させたい。

 

自分が選んだ絶交という選択肢で生まれた寂しさ、悲しさ、葛藤が苦しい。

 

現場での活動を終えて

署に帰る車内でいつも胸が締め付けられる。

 

そして

それを誰にも気づかれないように押し殺す。

 

 

きっかけは長女のしたたかな行いでした。

 

それに心を打たれて、孫可愛さに鬼となった両親。

 

鬼となった両親に一人責めたてられた奥さん。

 

思春期の娘が仕掛けた心無い行いが、良好だった家族関係を破壊した。

 

 

でも

長女が悪いわけではない。

両親が悪いわけではない。

もちろん奥さんなんて微塵も悪いわけがない。

 

悪いとすればそれは「僕」自身だ。

 

スマホを持たせない理由をしっかりと理解させていたらよかった。

あの日子どもたちだけで、じいじとばあばの元へ泊まりに行かせなければよかった。

あの日ボランティアへ行かずに、奥さんのそばにいればよかった。

 

理不尽に傷つけられた奥さんを守るために僕が選んだ、両親との絶交という選択。

 

全ては僕が選んできた道だ。

誰のせいでもない。

 

救命の現場で、この先もずっと僕は「死」と向き合っていかねばならない。

 

その度に両親を重ねて胸が痛くなる。

両親に残された人生の時間が底をついたとき

本当の「絶交」がやってくる。

 

果たして僕は受け止められるのだろうか。

 

 

日記だから許してください。

 

やっぱり僕は両親に逢いたい。

 

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