能登半島地震発災から今回で12回目の支援活動
奥能登地震を含めると珠洲へ行くのは15回目になります。
本当にもうこれ以上
能登半島の皆さんを傷つけないで欲しいです。
9月21日発災の能登半島豪雨災害
災害ボランティア愛知人は
大きな災害が発生すると
その被災地にベース(宿営地)を設置して
そこを拠点に全国からメンバーが集まり
中長期滞在型で支援にあたります。
9月21日の朝
普段通り活動を開始したメンバーから
Facebookのメッセンジャーで豪雨状況がリアルタイムで送られてきました。
やがて
その豪雨が土砂災害を生み出し
珠洲だけでなく
輪島や能登など広範囲に甚大な被害を与えました。
21日の発災以降
珠洲で活動するメンバーからの報告が気になり
何をしていても頭の中は能登半島のことが浮かんで
居ても立っても居られなくなりました。
一方で
緊急消防援助隊も能登半島へ向けて第一次隊が出発。
僕自身も第4次隊の小隊長として名前が上がりましたが
気の利く上司が
「お前ならもう被災地行く予定組んでるんだろ。
緊援隊で行くよりも
お前はボランティアとして被災地入りした方が多くの人を救えるだろ。」
と派遣を見送ってくれました。
本当に良い上司!
僕は上司に恵まれてます!!!
上司の後押しもあって
週休を使って珠洲市へ向かう。
この週休は次女の体育大会を控えており
親としてもPTA副会長としても外したくない予定でしたが
事前準備をしっかりと整えて
向かわせていただくことにしました。
快く送り出してくれる家族と
PTA役員のみんなに感謝です!!
また週末は豊橋で佐藤八幡宮さんの例大祭があり
愛知で最も強くて熱くてカッコ良くて
大好きな神輿渡御を予定していましたが
永田会長へ謝りの連絡を入れさせていただき
被災地支援を選ばせていただきました。
重ねてありがとうございました!!!
勤務明けで
体育大会の事前準備も全て整えた金曜日
珠洲へ向かう前に
高蔵寺駅へ立ち寄る!!
そして
JR高蔵寺駅改札口で
能登半島豪雨災害の募金活動の
お手伝いをさせていただきました。
募金活動をしてくれているのは
中部大学春日丘高校の
インターアクトクラブの皆さん!
それぞれが学業にお仕事に一週間を頑張り抜いた金曜日
家路を急ぐ方も
これから仲間と楽しく飲みに行く方も
お母さんと楽しそうに手を繋いで家へ向かう幼い子も
みんな
インターアクトクラブの皆さんによる
想いのこもった掛け声に歩みを停める。
一度通り過ぎた方まで歩みを停めて戻ってきてくださる。
そして
「頑張ってください!!」
と温かな言葉と共に
貴重なお金をご寄付くださいました。
改めて日本って温かい国だなぁと感じました。
ご寄付くださった方々の想いも
インターアクトクラブの皆さんの想いも
全て背負って珠洲へ向かわせていただきました!!
本当に温かく素敵な景色をありがとうございました!
珠洲のベースに到着したのは午前1時
道中
車のヘッドライトが照らし出す土砂被害が胸を痛める一方で
ベースに到着して見上げた夜空は
雲一つない満点の星空でした。
僕のスマホでは記録できないのが残念です。
今回は3日間という短い支援期間でしたが
屋根の補修案件が2件
転落家屋からの家財救出の1件
合計3件の支援を務めさせていただきました。
能登半島地震が発災した1月1日
それ以降
能登半島全域で業者さんやボランティア団体によって
屋根の補修が行われてきました。
早期に屋根を補修することで
家屋への雨水の侵入を防いで
大切な家と家財を守るのが目的です。
本職である屋根瓦屋さんが入ってくれるまで家をもたせるために。
応急的に施した屋根の補修も
8か月も経てば
ブルーシートも土嚢袋も風化して朽ちてきます。
今回の屋根案件は
朽ち果てたブルーシートや土嚢袋のやりかえ作業と
ブルーシートの下に存置された屋根瓦の撤去でした。
一見すると綺麗なブルーシート。
ですが
めくるとそこには大量に存置された瓦と土が、、、。
この土は棟瓦の所の土です。
棟が崩れ落ちて平瓦を割り
その上に土が流れ落ちます。
参考までに
僕たち愛知人は基本的にブルーシートは使いません。
災害が大規模になるほど
瓦屋さんのニーズが多くなり
屋根の葺き替えに半年や1年〜2年とかかるので
耐用年数の長い
運動会のテントなどに使われるターポリンという丈夫な膜を使って補修します。
下の写真の緑色の膜がターポリンです。
また土嚢も白い土嚢袋ではなく
紫外線劣化に強い黒い土嚢袋を使っています。
黒い土嚢袋は耐候性が強く2〜3年、5年持つものもあります!
最終日は
若山川へ転落した家屋から家財全て救出する案件でした。
前日の夕方に事前確認で被災者さん宅へ訪れてご挨拶。
家主さんからお話を聴くと
「今回の土砂災害で自分の家が沢山報道されて
『川沿いに建てたからこうなったんだ。』
って言われるけれど
家と川との間には20mは距離があったんですよ。
ちょうど対岸が護岸工事していたから
行き場を失った流れがこちらに集まってきて
庭も畑も家の下の土地も流したんです。」
すごく胸が痛みました。
そして
明日は絶対に全ての家財を救出してやる!
って気持ちが湧きました。
最終日
僕たち愛知人は
レスキューアシストさんの補助として支援に入らせていただきました。
一体何度傾いているんでしょうかね。
活動中に家が傾倒して川に転落すると危険なので
傾斜角度が悪化するか否かの目印を作成しました。
普通には立っていられない傾斜角度。
そして
傾いた室内に居ると不思議なもので
三半規管が狂って目眩や吐き気を訴えるメンバーまで出る状況でした。
みんなが一丸となって
それぞれがやれることをやり続けて
14時には全ての家財を救出することができました。
今回の支援でも何人か被災者さんとお話しさせていただきました。
昨年5月の奥能登地震
今年1月の能登半島地震
大きな被害を立て続けに受けてきた珠洲の方々ですが
それでも皆さん
「ボランティアの人たちが応援してくれるから
『頑張るしかない!』
『頑張るよ。』」
と前向きな言葉をずっと発してみえました。
しかし
今回の土砂災害は
頑張り続けてきた被災者さんたちの
傷つき疲れた肉体と心を
大きく破壊したように感じました。
「もうどうしたら良いかわからない。」
「神も仏も珠洲にはいない。」
「心が折れた。」
返す言葉を見つけられませんでした。
ただ頷くしかできない自分が悔しくて。
何がやれるわけではないけれど
それでも僕はこれからも珠洲へ足を運び
求められる要望を一つでも多く叶えられるように頑張ります。
皆さんもどうか今ある日常を楽しんでください。
隣りに居る人を愛してください。
大規模な災害はいつどこでやってくるかは分かりません。
いつかのその時のために
今を一生懸命に楽しんで生きて
笑顔で過ごしましょう(^-^)b
遠ざかる復興 能登半島に土砂災害 輪島、珠洲、能登に甚大な被害
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