大げんか。

パパの日記

今日は朝から奥さんと大げんか。

奥さんとこんなにも大げんかしたのは初めてかも知れない。

 

コロナで身体がしんどかった奥さん。

ずっと寝ていなきゃならない奥さん。

コロナに罹るほど免疫力を下げてしまっていた奥さん。

 

彼女がここまで免疫力を下げる前に

何かしてあげられなかったかなと反省する4日間。

でも

どの場面を振り返っても僕にしてあげられることは無かったな。

 

彼女の変化に気づかないほど鈍感な夫ではないし

何か起こる前に言葉で伝える性格なので

バイト終わりは休んでもらうようにしていたし

出かける際の送迎もしてきた

彼女が食べたいと言うものもその都度買いに出かけてきたのだから。

 

 

正直

僕にやれることはしっかりとやってきたと思ってます。

 

結果として

コロナに罹患して始まった看病も

何を言うわけでもなく彼女の体調と心の面を一番に考えて向き合ってきました。

 

けれど

今朝ぽたろうの前で大げんかをしてしまった。

ぽたろうごめんなさい。

 

 

人は感情的になると止められない。

喧嘩して感情的になると地獄だ。

 

どれほど良い行いを受けていたとしても

感情が勝ってしまって

それまで相手から受けてきた良い行いまで全て消し去ってしまう。

 

それどころか

過去に感じていた相手の悪い行いや記憶を蘇らせては

感情のままにぶつけてくるのだから

本当に厄介だ。

 

奥さんも当然に人なので

同じようにぶつけてくる。

僕の想いも行いも分かっているのに

感情に任せてぶつけてきた。

 

僕はどれほど嫌な思いをさせられても抱え込む性格である。

どれほど嫌なことをされても

それまで受けてきた相手からの優しさや良い行いを知っているから我慢する。

嵐が過ぎ去るのを待つタイプである。

 

でも

今朝はダメだった。

 

コロナで疲れた身体と

自由に動けない環境にイライラを募らせていた奥さんは

全て自分本位の価値観で感情をぶつけてきた。

 

大きな声を出す。

感情的に泣く。

 

ずるいよ。

 

 

そして

僕が最も嫌いな言葉をぶつけられた。

 

「私の看病なんかせずに珠洲市へ行けば良かったじゃない!

いつもボランティアって言って正義感出して家族を犠牲にして

自分は良いよね。

やりたいことやって

人様に良い顔して楽しんでるんだから。」

 

奥さんを責めたことはない。

予定していた珠洲市へのボランティアへ行けなくなったことを文句言ったこともない。

最も大切にしている家族のことを軽んじてきた覚えもない。

 

怒りに任せて感情的になると

なぜ人はこうまで相手を傷つけようとするのだろうか。

言われた相手も

言い放った本人も

誰も得をしないと言うのに。

 

日々積み重ねてきた行いは脆くも消し去られ。

正しさの中を生き抜こうとしている僕の行動さえ否定される。

 

感情的とはいえ

思っていないことは言葉として現れないものだ。

きっとこれが彼女の本心だ。

 

もう彼女に無理はさせないことにした。

無理をさせて

その度にこうやってぶつけられるのならば

これほどまでに悲しいことはない。

 

 

寝室へ戻るように伝える。

しばらくすると義母さんからLINEが来た。

以前ならスッと入ってきた義母さんからの言葉も

あることがきっかけで

もう僕の心には入らなくなってきてる。

 

「我が子が一番」

これは、どの親子も一緒なんだと思う。

子どもが幼い赤ちゃんであれ、立派な大人であれ。

親は何があろうと自分の子どもの立場に偏るものだ。

 

偏った見方をしないのが義母さんの良さだったのに

あのときをきっかけに偏るようになってしまった。

 

偏らない僕は

自分の正しさを貫いて

自分の親ではなく奥さんを選択して

実の親との関係を断ちました。

 

年老いた親との限られた人生の時間を絶ってでも

奥さんとの一生を選んだ僕は

もしかしたら大馬鹿野郎なのかも知れない。

 

正しさを生きるのはしんどい。

しんどいけれど生きなければならない。

 

頑張れよ自分。

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