能登半島地震から103日後の珠洲市 愛知人代表は温かく優しい人

災害ボランティア愛知人

令和6年能登半島地震発災から103日が経ちました。

石川県珠洲市の状況
・電気はほぼ復旧
・水道は未だ通らない
・公費での解体作業が始まったけれど進捗は数件程度で、街の景色は発災後からさほど変化はない。

 

そんな中

昨日災害ボランティア代表の赤池博美さんがfacebookで発信した言葉に心を打たれました。

 

「ご自身も被災されている中、ボランティアセンターを指揮している神徳さん。

去年の災害(令和5年5月奥能登地震)からのお付き合いをしています。

真面目で、優しく、熱く、勉強熱心な若いセンター長。

若くとも尊敬する人です。

1月3日、飯田小学校の避難所でバッタリ出会い、私の顔を見て号泣された事をつい昨日の事の様に鮮明に覚えています。

あの時は大丈夫だよって言ってあげられなかった…

今では必ず復興するよ、大丈夫だよと自信を持って言ってあげたい。」

 

 

昨年5月5日に発災した奥能登地震

初動対応として珠洲市へ入った僕

災害支援決定!災害ボランティア愛知人石川県珠洲市へ支援に入る

 

その頃から神徳さんという名前はずっと聴いてきました。

珠洲市の復旧と復興の最前線で尽力し続けてきた二人。

今回の能登半島地震で再会した際の二人の光景は

その場に居なくとも容易に想像できる。

 

「あの時は大丈夫だよって言ってあげられなかった…。

今では必ず復興するよ、大丈夫だよと自信を持って言ってあげたい。」

 

1月20日に僕が珠洲市へ支援へ入った際に

馴染みのメンバーとの会話の中で

普段は決して怒らない博美さんが怒った。

きっかけは悪意のない些細な言葉のすれ違いだったのだけれども

博美さんもメンバーも真剣に怒り喧嘩して

そして博美さんが泣いた。

 

1月3日から単身で珠洲市へ支援に入り

日々被災者さんから寄せられる様々なニーズを受ける中でも

僕らが得意とする

屋根の補修や倒壊家屋からの貴重品の取り出しなど

技術系ボランティアとしての活動ではなく

 

当時は生きるための支援として

炊き出しに尽力し続ける毎日

 

 

本当なら炊き出しを行いながらも

被災者さんの住まう家を直接に守ってあげたい気持ちがある中で

博美さんはグッと堪えて

僕たちメンバーを説き伏せて

ひたすらに炊き出しの活動を展開してくれていました。

 

 

誰よりも被災地の状況を知る博美さんだからこそ

「やれない」辛さの中で葛藤を抱き続けて

一人我慢を続けて頑張っていたんだと思います。

 

1月20日

僕を含めて馴染みのメンバーが揃い

吐き出せずに溜め込んできた想いを吐き出した結果が

喧嘩と涙だったんだと想います。

 

そんな博美さんが発災から102日目に発信した言葉は

本当に温かくて博美さんらしい優しさに溢れた言葉だと想います。

 

改めて

この災害ボランティア愛・知・人という団体に入れてもらえていることに感謝。

 

愛知人の珠洲市での活動は8月末までと一旦の区切りを設けることになりました。

けれど

被災地の復旧復興にはまだまだ多くの時間と人の手が必要です。

 

僕なんかのブログを読んでくれている人はいないでしょうけど

もし目に止まって

災害ボランティアに興味関心、応援する気持ちをお持ちでしたら

一緒に活動していただけませんか。

どうかお力を貸してください。

 

 

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