令和6年能登半島地震 災害ボランティア愛知人珠洲市支援活動

災害ボランティア愛知人
今日は珍しく真面目な話をします。
自分自身への戒めのために。
僕が仕事をする上で一番大切にしていることは
「隊員みんなが笑顔で出勤して来て、翌朝みんなを笑顔で家族や大切な人の元へ帰すこと」です。
そして僕の持論
「消防士ほど被災地支援に向いている職業は無い」
常から災害現場に臨む僕たちは災害のプロである。
火災、救急、救助とあらゆる災害に対応出来る知識経験がある。
そして、常から傷病者さんやそのご家族と向き合うことで傷ついた方々に寄り添う接遇力がある。
そして強みとは別の
弱みというか伸ばせる部分というか。
僕たちは災害のプロではあるけれど
自然災害では素人です。
だからこそ
消防士は被災地へ赴き被災地支援をやると良い
と本気で想い
これまでずっと仲間たちへ声をかけて来ました。
でも
実際にボランティアをやってくれる消防士はほとんど居ません。
そりゃそうですよね。
みんな仕事として消防吏員をやってるわけだから。
お金は付かないし
職歴に誇らしい箔が付くわけでもない。
それどころか
ボランティアなんてものはお金と時間がかかるのだから
進んでやろうとするはずがない。
そんな中で
奇特にも僕のボランティア活動に関心を持ち
共感してくれる仲間たちが居ます。
僕にとっては頼もしく
将来を期待する大切な仲間たちです。
災害ボランティア愛知人として
僕は発災直後に赤池代表と珠洲市へ入り被災地支援活動を開始しました。
この珠洲市での活動には僕の職場の仲間も参加してくれて本当に嬉しかったです。
当時、ベース(宿営場所)としてお借りしていた建物が、今回の令和6年能登半島地震で全壊しました。
事前に赤池代表から
「涙が溢れた」と聴かされていた僕は
「そうは言っても泣きはしないだろう」と高をくくっていました。
今回の活動最終日
愛知へ帰る前に赤池代表の案内で当時のベースを観に行きました。
そこには完全に倒壊したベースがありました。
全国から集まる愛知人のメンバーと
寝食を共にした想い出の建物が見事に地震により壊されていた。
初めて気がつきました。
僕はずっと
僕のエゴで大切な仲間を危険に晒していたのだと。
もし被災地支援に入ってるときに今回の地震が起きていたら
みんな亡くなっていた、、、。
何が「笑顔で帰す」だよ。
危険な目に遭わせておいてよく言ったもんだと。
つくづく自分が嫌になった。
心から申し訳なく想います。
だからもう
これからは仲間たちを誘うのは辞めにしました。
地震で大切な人を亡くされた方
大切な家や財産を失われた方
僕なんかじゃ想像し得ないほどのキズを負いながらも
こんな危険な場所で
先の見えない不安の中を
今もこれからも生活を続けていくしかない被災者さん。
僕なんかに何がやれるわけでもない。
けれど
被災者さんたちに少しでも安心を
少しでも不安を拭うお手伝いをさせていただきたい。
だからまた
能登半島へ戻らせていただきます。
仕事もちゃんとやって
家族孝行もしっかりとやって
地元のこともちゃんと務めて
奥さんとデートして
時間を作って永く永く支援へ向かわせていただきます。
心から被災地の復旧と復興を願っています。



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